危な~い

車を運転すると危ないことだらけ

2車線の内側を走行中
左車線の車が前方で左折をしたかったまでは良かったのですが
その左折の入口に車があるのは目視で確認しながら運転
と突然目の前にその車が出てきたのです
ぎゃ===
ハンドルを慌てて切りましたが
接触しそうになりました
連休中 助手席に乗っていてもヒヤヒヤした事もあって
寿命が縮まりそう


今日はそう言う事もあり午後からは事務所内で作業する事に・・・



さて久しぶりに大工哲弘さんの事を紹介しま~す

20歳前後の若者が三線片手に民謡を歌ってデビューっていうのは、当時としてもかなり珍しかったわけですよね?
大工:他には全くいなかったですよ。僕は18歳のときに高校で初めて「三線部」を作ったんですけど、そのときはホントに怒られたんです。「学校は勉強するところなのに、なんで三線なんか!」ってね。ましてやみんな農家の生まれですから、学校が終わったら田畑で手伝いをしていた時代で、「三線弾く時間があったら、田んぼで鋤を引け」って、冷たい目で見られましたね。世の中の風潮としても、芸事をする人は怠け者だっていうレッテルを貼られて、ましてや高校生となれば、「お前はアシバ―(遊び人)になるのか?」って言われたりね。

―それでも、大工さんが民謡にこだわったのはなぜだったのでしょうか?
大工:沖縄本島の若い歌手の人たちは華があったんですよ。いろんなユニットがいて、石垣にも公演をしにたくさん来たんで、「なんで沖縄の歌はこんなに若い人が歌ってるのに、八重山の若い人は歌わないんだ?」っていう、そういう抵抗はありましたね。

―「八重山の民謡らしさ」っていうのは、どういった部分なのですか?
大工:朗々と歌うところですね。沖縄本島の歌と違って、屋外の歌なんです。田や畑で仕事をしながら歌ってる、そういうバックグラウンドがあるわけですから、みんなすごい声を出して歌うんですよ。沖縄本島の人はちょっと裏声で、言うならば「四畳半歌」だったんですけど、八重山はそうじゃなくて屋外で歌う。農作業をしながら延々歌ってるわけだから、八重山風だっていうのは声量ですぐわかりますね。

続きはまたあとでお知らせしていきま~す

大工哲弘

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